【初めての広島】曾祖父の足跡と家族の思い出【広島でのお墓参りと歴史探索レポート】

旅行

こんにちは、Fujiyaです。
今回は、母方の曾祖父のお墓参りを目的に『広島』へ行ってきたのでレポート書きたいと思う。

私の曾祖父は、昭和12年に志願兵として「支那事変」に参加し、昭和13年に当時の広島市にあった廣島陸軍病院で37歳の若さで亡くなったと聞いている。当時、亡くなった知らせが届き、広島まで親戚が行ったそうだが、持って帰ってきたのは、勲章のみだったそうだ。祖父は生まれたばかりであったため、父親の記憶はなく、近所の人の話や写真の情報で人物像を想像していたようだ。墓地には、とても立派なお墓はあるが、昔からお墓参りでは「ここにおじいちゃんは入っていないんだよ」という風に教えられてきた。

祖父母たちは、そんなことから広島には1度は行きたいと考えていたようであるが、今まで実現はしていなかった。祖父は亡くなってしまったが、母が祖母が存命のうちに広島への墓参りを計画したというのが今回のイベントである。

言い出したのは母であるが、交通手段やホテルの手配、レンタカー、観光ルートなどは長男の私に丸投げであった。まあ、長男とはそんなものだ。

広島への墓参り旅行

そもそも墓参りといっても広島のどこに行けばいいのか?

広島は原爆が投下された都市として有名なので、少し検索するだけで多くの情報が出てくる。しかし、曾祖父が亡くなった原爆投下の前の情報は、ネットで調べてみても非常に少なかった。

曽祖父が参加した戦争は、1937年に盧溝橋事件により、支那事変(日中戦争)が勃発したところから始まる。亡くなったのは1938年であることから、参加してからそう長く戦地にはいなかったことが考えられた。負傷後は、傷病兵士として広島で療養をしていたのだと思う。この頃の戦争は激化しており、負傷者が増加したため病床が足りておらず、廣島陸軍病院が第一~第三?と複数あったようだ。

曾祖父が実際にどの病院がにいたのかはわからないが、廣島第二陸軍病院跡地に石碑があることが分かった。とりあえず、その場所を訪れる旅行プランに入れることとした。

病院で亡くなった後はどうなったのか?についてだが、全く分からなかった。祖母の話によると、当時は同じように亡くなった方が多かったため纏めて火葬されたとのことだった。そして、いろいろと調べていくうちに廣島陸軍病院の患者は比治山陸軍墓地に埋葬されたという情報をつかんだ。

しかし、1940年代前半には、比治山陸軍墓地に「高射砲陣地」という砲台を設置する計画のため、一つのお墓に多数の遺骨を一緒に埋蔵する墓所として忠魂碑が建てられたらしい。当時は死者への供養などはあまりされず、掘り出された遺骨は南側の斜面の谷間に捨てられたという情報があったり、さらに枕崎台風(まくらざきたいふう)という大型の台風の被害にも遭ったらしい。

戦後になると、ある程度整備はされたようであるが、当時曽祖父の遺骨が墓地に埋められたとしても、合葬のために掘り返されたりや台風の被害にあっている可能性が高く、曽祖父の遺骨が今も埋まっている可能性は低いことが考えられた。

私が調べられたのはここまでである。しかしながら、お墓参りとするとこの比治山陸軍墓地に行くしかないだろう。曽祖父の実際の痕跡を見つけることは今となっては難しいと思うが、広島の地には居たことは確実なので、この地を訪れることが供養になると思う。

参考文献/ホームページ

【1日目】初めての広島観光

起床は早朝4時30分。広島旅行へ同行する祖母、母、叔父、祖母妹の4人を車で迎えに行き、新幹線に乗った。このメンバーで旅行をすることは最初で最後だろう。

群馬から広島までは約800キロで、新幹線を使えば約6時間の距離である。思ったよりもあっという間だ。科学の力ってすげー。

途中、東京で乗り換えがあるが、85歳の祖母の歩みが乗り換え時間に間に合うのかヒヤヒヤしていた。さすがに20分の猶予を設けていたので間に合った。

広島駅

無事に広島駅に到着した。駅で浮かれて写真を撮っていたが、田舎者丸出しだった。到着時間がお昼であったため、すぐに予約をしていたレンタカーを取りに行き、昼食を取ることにした。メニューは『広島焼き』だ

私は「広島焼き!」と言ってしまったが、広島ではこれが普通のお好み焼きであるため「広島焼き」とは言わない方が良いらしい。

もちろん美味しかったが、特別広島らしさを感じた感覚はなかったように思える。小麦粉の生地にソース、マヨネーズ、鰹節と誰もが感じる味だ。具材に地元産の牡蠣が入っており、それがとても美味しく一番印象に残っている。

昼食後、1日目のプランの「広島城」と「廣島第二陸軍病院跡地」に行った。

『広島城』は思ったよりも小さかった

広島城

歴史好きでもない個人の感想であるが、広島城は思ったよりも小さかった。お城の中には資料館、お土産ショップなどがあり、広島の成り立ちや原爆投下時の状況の資料があり、勉強になった。最上階では広島の街を一望できるが、生まれ育った故郷よりも遥かに都会のこの街で、曽祖父がどういう気持ちで療養をしていたのだろう考えさせられた。

お城の近くにある小さなお店で「とうふアイス」というデザートが売っていたので食べてみた。

味はまさに豆腐である。見た目は普通のバニラソフトクリームであるが、甘さもかなり控えめだった。私はそこまで甘いもの好きではないから大丈夫であるが、甘いものが食べたい人にはおすすめしない。甘い物が食べたくてアイスを食べるのに、なんだか矛盾している食べ物だと思う。ただ、記念にはなる。

廣島第二陸軍病院跡地

廣島第二陸軍病院跡地

近くにマンションやスポーツ施設などが並ぶ旧太田川沿いにあり、開発と整備が進み、今となってはここに病院があったとは思えないほどである。

この慰霊碑は、原爆投下時に入院していた患者や職員などのために作られた物であるため、曽祖父とは直接関係している可能性は低い。私たちが跡地を訪れると掃除をしている女性がおり、群馬から訪れたことを知ると、労いの言葉をかけてくれた。

1日目のホテル「グランヴィリオホテル宮島和蔵-ルートインホテルズ-」。マジで最高だった。

明日は厳島神社で観光予定のため、宮島の近くのホテルを予約した。それが「グランヴィリオホテル宮島和蔵-ルートインホテルズ-」だ。

ルートインというとビジネスホテルの印象が強いが、このホテルは私の中でもう一度泊まりたいホテルナンバーワンとなった。部屋も綺麗、スマホ充電などのアメニティも充実している。

大浴場があることも高齢の祖母がいるのでありがたかった。さらに、風呂上がりにはビールがタダで飲み放題、朝ご飯のバイキングも美味しく、まさに至れり尽くせりのホテルで最高だった。

唯一欠点を書くのであれば、周辺に飲食店が少ないことだろうか。ホテル内のレストランは予約制になっているため利用が出来ず、車で少し走った先にファミレスなどがあるだけだ。ホテル周辺で飲み歩きなどは出来ないので、そこだけ注意したい。ただ、厳島神社へ行く人には、是非ともおすすめしたい。

【2日目】厳島神社と比治山陸軍墓地

今まで神社仏閣にあまり興味がなかったので、全く下調べをしていなかったが宮島へはフェリーでしか行けないことを初めて知った。ホテルスタッフに聞いてみたら、車ごとフェリーに乗ることは可能であるが、厳島神社の周りには駐車場がないので歩いて行くことがベストだそうだ。

宮島行のフェリー

厳島神社

宮島には至る所に鹿がおり、フンも落ちている。普通に踏んだ。

宮島の鹿

私が訪れた時間は午前9時頃。この時間帯は引き潮で潮が引いており、鳥居までは歩いて近づくことができた。満ち潮の鳥居も見てみたかったがまたの機会となった。

想像通り、とにかく観光客が多かった。母は御朱印目当てで行列に並んだが、書いてもらうのに1時間以上かかった。私は、母を待っている間に昼ごはんを食べたかったが島中全てのお店が混んでいた。

あなご飯が有名らしく、とても美味しそうだった。。。。食べたかった。

比治山陸軍墓地

比治山陸軍墓地の入り口

今回の旅行の大本命である比治山陸軍墓地に到着した。
墓地は、広島市内の割と街中にあり、親子連れで賑わう公園を登っていった先であった。ただ、放射線検査センターという物騒な施設の裏にあり、案内看板もなかったため、非常にわかりづらかった。

比治山陸軍墓地の中

中に入ると、たくさんの墓石や慰霊碑が並び、戦争で命を落とした方の名前も刻まれている。曾祖父が参加した支那事変の石碑もあったが、残念ながら名前は確認できなかったが、曾祖父が嬉しく思ってくれている様な、そんな気がした。

2日目のホテル「ホテルマイステイズ広島 平和公園前」

ぶっちゃけ、1日目のホテルのサービスが良すぎた為、評価が下がるような書き方となってしまうが、窓から広島平和記念公園を一望できて十分立派な良いホテルだ。ただ大浴場が無いので、高齢の祖母は部屋にあるお風呂の使用が少々大変な様だった。

一方で、周辺は繫華街なので飲み屋も飲食店もたくさんある。私は居酒屋に入り、生牡蠣とワインをいただいた。家族とは言え、年代も違う人達と旅行するのは結構気を遣って疲れていたため、一人で美味しい食事をする時間は必要だった。

【3日目】平和記念公園と資料館

原爆ドーム

本日でこの旅行も最終日。午後には帰りの新幹線に乗るため、朝から急いで平和記念公園や原爆ドームを見て回った。

資料館では、当時の状況や様子が包み隠さず展示されている。原爆投下時はまさに地獄だったことが、体調が悪くりそうなほど伝わってきた。館内には、日本人だけでなく、外国人観光客もたくさん訪れていて、誰もが同じ気持ちになるだろう。絶対に繰り返してはならない。

世界には争いがあることがとても残念に思う。

駆け込みご当地グルメ「広島餃子」と「穴子飯」

新幹線に乗る前のわずかな時間に「広島餃子」を食べた。そもそも広島餃子というグルメを知らなかったが、特徴としてはネギがかかっているらしい。しかし、注文したセットの餃子にはネギがなかった。

食べ比べセットというので、色々食べられるのかと思って注文したが、完全に失敗した。

次に宮島では食べることができなかった「穴子飯」。お弁当なのでクオリティはイマイチ。
やはりちゃんとしたお店で食べたいものだ。

旅の終わり

この墓参り旅行では、曾祖父がどんな場所で最後を終えたのかを知ることが出来た。広島は、昔から技術、食、歴史と様々な事柄が集まっている大都市だった。

ただ、この賑わいの中で、家族や故郷を思って1人亡くなった曾祖父の気持ちを思うと悲しくなる。時間はかかってしまったが、今回家族ともに訪れることで、供養になれば良いなと思う。

旅行費用のお金は、祖母がほとんどを負担してくれた。自分としては、下調べをしっかりと行い、すべて予定通りに進めることが出来た。経済的な面以外では、祖母孝行が少しは出来たのかなと思う。

ご先祖に感謝し、これからも定期的なお墓参りは続けていきたいと思う。

以上になります。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。